「酵素の安定化」で持続可能な未来をつくる

医薬品や食品、バイオ燃料など、あらゆる産業の製造現場で「天然の触媒」として活躍する「酵素」。しかし、デリケートなタンパク質である酵素は熱や環境の変化に弱く、すぐに機能が失われてしまう(失活する)という大きな課題を抱えています。

この課題を解決できるのは、石川県立大学の松﨑千秋准教授。松﨑先生は、長年の研究で培った理論設計ノウハウとスーパーコンピューターによるシミュレーションを融合した「匠ザイム」技術を確立。手探りで行われていた酵素の安定化(耐熱化など)を低コスト・短期間で実現するプラットフォームを構築しました。「次世代に価値ある地球を残したい」と語る松﨑先生に、研究の歩みと起業に向けた展望を伺いました。

松﨑 千秋氏

生物資源環境学部 准教授(農学博士)
松﨑 千秋氏

神戸大学農学部卒業後、大手食品メーカーでの10年間の勤務を経て、石川県立大学大学院博士課程修了。微生物や酵素の構造・機能解析に従事。2024年「石川テックプラングランプリ」グランプリ受賞。理論設計技術とスーパーコンピューターを用いた分子動力学シミュレーションを融合させた酵素安定化技術「匠ザイム」を推進し、2028年の起業(大学発スタートアップ設立)に向けて事業化を強力に推進中。

石川県立大学

自然が好きだった少女時代から、酵素の魅力に惹かれた研究者へ

スタクラ:

松﨑先生が農学や微生物・酵素の研究に興味を持たれたきっかけを教えてください。

松﨑:

小学生の頃に「将来は農家になりたい」と言っていたほど、昔から自然や生き物が大好きでした。大学は神戸大学農学部に進み、一度は食品メーカーに就職して約10年間仕事をしていたのですが、ご縁があって石川県立大学の研究員として研究の世界へ戻ってきました。

大学院(博士課程)に入り直して微生物や酵素の研究に本格的に打ち込む中で、バイオエタノールを作るための「酵素」の研究に出会いました。酵素という分子のすごさや、それを安定化させることがどれほど産業や経済に巨大なインパクトを与えるかを知った時の衝撃は、研究者としての大きな転換点になりましたね。

【技術解説】「30年の知見×スパコン」で実現した酵素安定化のイノベーション

スタクラ:

今回開発された「匠ザイム(酵素安定化技術)」について教えてください。

松﨑:

酵素は特定の化学反応を何千倍・何万倍に速める非常に優れた触媒ですが、熱や環境の変化に弱く、すぐに壊れてしまうのが弱点です。

これまでの研究業界では、「どこを変異させれば強くなるか」を探すために、何年もかけて手探りの実験を繰り返すしかありませんでした。かといって、一般的なAIやコンピューターのシミュレーションだけに頼ろうとすると、計算量が莫大になりすぎて実用化は不可能なのです。

この高い壁を破ったのが、私たちの「匠ザイム」です。研究グループが30年の研究で培ってきた「ここに結合を入れれば効率よく強くなる」という理論設計の知見ノウハウで候補を一気に絞り込み、その上でスパコンによる分子動力学シミュレーションを行って正確なエネルギー計算を行います。

ノウハウで絞り込み、スパコンで精密化する。このハイブリッドなアプローチにより、従来10%未満だった予測精度を圧倒的に向上させ、数年かかっていた開発期間と莫大なコストを劇的に圧縮することに成功しました。

【従来技術との違い】

■ 従来の酵素安定化
・予測精度:10%未満と低く、安定な酵素を見つけるまでに数年間のスクリーニング実験が必要
・課題:莫大な人件費と開発コストがかかり、企業の開発がストップしてしまうことも多い

■ 今回開発した 匠ザイム(理論設計ノウハウ×スパコンシミュレーション)
・高精度&スピード:高精度なシミュレーションで絞り込むため、開発期間と実験コストを激減
・汎用性:食品・バイオエタノール・医薬品・検査薬など、幅広い産業用酵素に適用可能
・成果:すでに希少糖(アルロース)製造の現場で、酵素の製造コストおよび固定化酵素の寿命を大きく伸ばし数億円規模の成果を実証済み

コスト削減から環境負荷の軽減まで――酵素の耐熱化がもたらす巨大なインパクト

スタクラ:

酵素が「安定化(耐熱化)」すると、社会や産業にはどのような変化が起きるのですか?

松﨑:

例えば、酵素の耐熱温度が20℃上がると、より高い温度で素早く反応させることができるようになり、物質の生産速度が約4倍に上がります。さらに、高温に強くなることで冷却水や加熱にかかるエネルギーコストが大幅に削減され、雑菌の繁殖も防ぐことができます。

実際に企業の事例(希少糖アルロースの製造現場)では、これまで年間1本200万円ほどかかっていた酵素の交換頻度を「1年に1回」から「4〜5年に1回」へ伸ばすことができました。これにより大幅なコストダウンと大量生産が実現し、海外展開への足がかりになったとお伺いしています。

また、医療用検査薬の分野などでも、酵素が常温で安定すれば途上国への輸送時に「冷やして運ぶ(コールドチェーン)」必要がなくなり、より多くの人々に届けることが可能になります。

【想定される主なユースケース】

  • 希少糖・機能性多糖類製造(食品領域):固定化酵素の長寿命化(1年から4〜5年へ)による大量生産と数億円規模のコストカット
  • バイオエタノール生産(エネルギー・環境領域):高温反応による冷却・加熱エネルギーの劇的削減と生産効率の向上
  • 医療用検査薬・診断薬(医療・製薬領域):常温安定化によるコールドチェーン(低温輸送)の不要化と途上国等への普及促進
  • 洗剤・化学品原料(化学・日用品領域):強力かつ持続的な酵素反応による高機能化合物の高効率生産

脱属人化とシミュレーションで、世界中の「酵素の困りごと」に応える

スタクラ:

事業化(起業)に向けた現在のフェーズと、経営パートナー(CEO候補)に求めたいことを教えてください。

松﨑:

現在は実証実験を進めているフェーズで、2028年の起業を目指しています。研究グループには物理学の専門家らも加わり、ノウハウをプログラム化して「脱属人化」されたサービスプラットフォームとして構築している最中です。

事業計画を実行レベルに落とし込み、グローバルな市場へと展開していくためには、ビジネスサイドを強力に引っ張ってくださる経営パートナーが必要不可欠です。私たちが持っていないビジネスの視点を補い、お互いの専門性をリスペクトし合えるプロフェッショナルな仲間と一緒に走っていきたいですね。

研究者としての信念と、次世代に胸を張れる未来のために

スタクラ:

最後に、松﨑先生がこの事業を通じて実現したい未来のビジョンをお聞かせください。

松﨑:

私自身、二十歳になる娘がいるのですが、自分の仕事を通じて「次世代にとって価値ある地球を残す」という貢献をしたいと考えています。

製造現場でのCO2や消費エネルギーを大幅に削減できる私たちの酵素安定化技術は、持続可能な社会をつくる強力な武器になります。子どもたちの世代に対して恥ずかしくない、胸を張れる仕事をやり遂げ、北陸から世界へと広げていきたいです。

編集後記

「自分の強みは、素晴らしい技術を持つ研究者のチームをひとつにまとめる役割ができることです」と控えめかつ笑顔で語ってくださった松﨑千秋准教授。ご自身の専門だけでなく、異分野のスペシャリストたちを巻き込み、お互いをリスペクトしながらひとつのイノベーションへ昇華させていくお姿が非常に印象的でした。「酵素の弱点を克服する」というこの革新的なアプローチが、世界中のものづくりと地球環境の未来をやさしく変えていく日が楽しみでなりません。

この記事を書いた人

佐藤 鮎美

佐藤 鮎美

【所属】株式会社スタートアップクラス 事業推進部 【経歴】大学卒業後、リクルート広告代理店に入社。その後、(株)リクルートホールディングスにてバックオフィス業務全般を行い、(株)ジュリスティックスでは人材紹介を含むアシスタント業務を行う。2022年4月よりスタートアップクラスへ参画。 【スタートアップへの思い】 志をもった素晴らしいスタートアップがあることを知ってもらい、良い出会いからスタートアップの事業成長に繋がれば嬉しいです!