「日本」輸出のゲームチェンジャーとなり、孫の代に誇れる日本を作りたい

株式会社クロスリーチ代表取締役CEO 永井 希望氏

株式会社クロスリーチ_eye

近年、日本の食文化への関心の高まりや、高品質な食材に対する海外の需要拡大を背景に、日本の食品輸出事業は新たなステージを迎えています。従来の北米やアジアに加え、欧州や中東など、世界各国への輸出が拡大の一途を辿っています。

株式会社クロスリーチは、日本の食品や日用品などを世界に輸出する商社として唯一無二のポジションを確立しています。同時に、コンサルティングやデジタル事業も展開する多角的な企業であり、海外現地ネットワークを活かした日本企業の海外進出支援なども行っています。

代表取締役CEOの永井希望氏は、イギリス留学やUAE駐在など豊富な海外経験を活かし、クロスリーチ社を起業しました。「日本初の在外日系財閥」の設立を目指し、現在はシンガポール、日本、UAEの3拠点で事業を展開しています。

本インタビューで強く印象に残ったのは、永井氏の卓越した瞬発力、行動力、そして旺盛なエネルギーです。20代、30代の「世界で思う存分に力を試したい」と考えている方にとっては、非常に興味深い内容となっています。

永井 希望氏

代表取締役CEO
永井 希望氏

1985年生まれ。
一橋大学を卒業後、株式会社野村総合研究所に入社。主に中東、アフリカ及び途上国向けビジネスを専門に、幅広い分野のリサーチ・コンサルティングプロジェクトに多数参画。2013年からは(一財)中東協力センターに出向し、UAEアブダビジャパンデスクに2年半駐在。駐在中は現地ネットワークの強化や新規投資案件発掘に貢献した。
孫の代に誇れる日本を作りたいという想いからクロスリーチ(旧ksnコーポレーション)を立ち上げ、中東地域をメインマーケットに会社を成長させ、2020年より3期連続の100%成長を達成。
現在は「日本」輸出のゲームチェンジャーとなるというビジョンを掲げ、2023年にシンガポールへ本社を移管、2028年のNASDAQへの上場を目指し、全社の牽引に邁進している。

株式会社クロスリーチ

株式会社クロスリーチ
https://xreach-inc.com/

設立
2013年03月
社員数
30名

《VISION》
「日本」輸出のゲームチェンジャーとなり、世界の人々の暮らしに華を添える
《事業分野》
商社、コンサルティング、システム開発
《事業内容》
■商社事業
日本産の食品、化粧品、化学品など多岐にわたる製品を世界中の食品卸事業者に向けて輸出・販売しています。また、自社ブランド製品の開発・販売も手掛けています。
■コンサルティング事業
マーケット現地に根を張ることによって得られたマーケットインサイトと実業(商社事業)から得られたノウハウを持つことを強みに、主に日本の政府機関や大手民間企業に対してリサーチ・コンサルティングサービスを提供しています。
■FBO(デジタル)事業
より多くの事業者様が気軽に自社商品を輸出できる世界を実現するため、受注業務から帳票出力、シップメント管理を効率化し輸出のハードルを下げるSaaS型貿易DXツール"ShipPass"の開発・販売を行っています。

長野の豊かな自然の中でのびのびと育った幼少期

スタクラ:

はじめに、永井さんの生い立ちや、現在の仕事に繋がる原体験についてお聞かせ下さい。

株式会社クロスリーチ 代表取締役CEO 永井希望氏(以下敬称略):

長野県の田舎に生まれ、豊かな自然の中でのびのびと育ちました。
基本的に何でも自由にやらせてくれる両親のもと、何事も自分で決めることが多かったです。少々自我の強い性格は、そういう幼少時代からの積み重ねがあるかもしれません。

人生の転機となったイギリス留学

スタクラ:

一橋大学に進学されたとのことですが、印象に残っているエピソードを伺えますか?

永井 希望:

私の周りには比較的同じような価値観の学生が集まっていたこともあり、それはそれで楽しい経験でしたが、2年ほど過ごすうちに「自分の知らない世界を見てみたい、もっと多様な価値観に触れてみたい」と言う思いが強くなり、イギリスへの留学を決意します。

イギリス留学は、私にとって大きな転機となりました。
通っていたウォーリック大学は、多様な国籍、バックグラウンドを持つ学生が集まる大学でした。フラットメイトもモーリシャス、ベトナム、ポーランド、アメリカ、ブラジルなど様々な国から来ており、多文化が共生する環境を心から楽しみました。

日本人留学生もみな志が高く優秀で、現在も株主や社員として付き合いが続いているメンバーが何人もいます。イギリスでの出会いや経験は、私にとって大きな刺激となり、将来に対する考え方も大きく変わりました。

スタクラ:

どのような変化があったのでしょうか?

永井 希望:

田舎育ちということもあり元々はコンサバティブなタイプで、留学前は「卒業後は地元に戻り、インフラ系の企業か地方銀行、あるいは官僚として安定した道を歩もう」と考えていました。

しかし、イギリス留学を経験し、多様な価値観や新たなキャリアの可能性に触れることで、将来に対する考え方が大きく変わります。中でも政策や政治に外部から関わることができるシンクタンク、そしてファイナンス業界の魅力に惹かれるようになりました。

当時は外資系投資銀行やコンサルティング会社が就職先として人気でした。私も様々な企業のインターンシップに参加しましたが、野村総合研究所のインターンが大変面白く、人間味のある社風にも惹かれたことで、ここで働こうと決めました。

財政破綻シミュレーションプロジェクトが自身の人生設計に影響を与える

スタクラ:

野村総合研究所では約6年間ご活躍されたとのことですが、どのような業務が印象に残っていますか?また、現在の事業に影響を与えたエピソードがあれば教えて下さい。

永井 希望:

愛知県のある大手製造業から委託された財政破綻シミュレーションプロジェクトに携わった経験が、私のキャリアに大きな影響を与えました。
これは日本が財政破綻した場合にクライアント企業が被る財務的な影響や被害を定量化するため、いくつかのシナリオをもとに経済波及効果を測定するような手法を用いてシミュレーションを行うというプロジェクトでした。

このプロジェクトから、日本の財政システムが抱える問題や、最悪のシナリオを想定することの重要性、そして過去の事例から学ぶことの大切さなど多くの学びを得ました。
ただ、それ以上に胸を打たれたのは「重要なのは財政破綻が起きるかどうかの議論ではない。起こりうる様々なリスクを想定した上で、いくつかのシナリオを設定し、それにどう対応すべきかを考え続ける。その積み重ねこそが経営そして人生にとって大変重要である」というクライアントの会長の言葉です。

これが、私自身が後の人生で直面するリスクのシナリオを描くきっかけとなりました。
その結果「このまま日本にいてはだめだ、世界で活躍できる人間になろう」という思いが強まり、それを実現するための第一歩として、海外でのMBA取得を検討するようになりました。

インタビューはクロスリーチ社オフィスで行われた。永井氏(右側)と、インタビュアーの弊社藤岡(左側)

インタビューはクロスリーチ社オフィスで行われた。永井氏(右側)と、インタビュアーの弊社藤岡(左側)

「自分も国際的なビジネスの舞台で活躍を」と思いを強くしたアブダビ駐在

永井 希望:

結果的には、海外MBAは実現しませんでした。アラブ首長国連邦の首都であるアブダビへの転勤話が舞い込んだのです。

日本は原油輸入の3割以上をアラブ首長国連邦のアブダビ首長国に依存していますが、これは日本の石油会社が権益を持つ、いわゆる「日の丸油田」によるものであるため、アブダビは日本のエネルギー安全保障にとって非常に重要な地域です。

しかし、これらの権益は期限付きであり、2014年・2018年に更新を控えるという大きなターニングポイントを迎えるところでした。
当時はアメリカやイギリス、フランスといった石油メジャーを抱える国々のみならず、中国や韓国をはじめとしたアジア諸国もこの権益の獲得のためアブダビに猛烈なアプローチを行っており、日本としても、これらの国々に負けない貢献を行い、重要な権益を無事に更新することがとにかく重要でした。

また、当時のアブダビは原油価格の高騰に伴う急激な経済成長の真っ最中でした。都市開発も活発に進められており、いわば白紙の上に都市を設計していくような、壮大なプロジェクトが進行していました。
その都市計画のスケールとスピード感だけでも「これは面白くなりそうだ」と直感し、MBAを一旦保留にし、アブダビで新たな挑戦をすることに決めたのです。

アブダビでの2年半は、期待どおり非常に刺激的で貴重な経験となりました。
私たちのプロジェクトに課せられたミッションは「アブダビの産業多角化に貢献するための日本の製造業誘致」で、私は日本とアブダビの企業間ネットワーク作りをはじめ、日本企業の誘致に向けた取り組みを様々な角度からサポートしました。

そして、最終的には日本の大手鉄鋼会社のアブダビ進出・工場設立が決まり、我々のプロジェクトは無事にミッションを達成することができました。また、駐在中には安倍晋三元首相や経団連会長など日本の要人や、アラブ首長国連邦の現在の大統領とも直接お話をする機会にも恵まれるなど、とても充実した日々を過ごしました。

これらの経験を通じ、中東地域におけるビジネス環境や日本企業が海外において期待される役割などへの理解を深める一方で、他のアジア諸国の台頭と日本のプレゼンス低下も目の当たりにし、「日本はこのままで大丈夫なのか」という思いをますます強くしました。

「世界で尊敬される日本を次世代に受け継ぎたい」と起業を決意

スタクラ:

その後、起業をされた経緯についてお聞かせいただけますか?そのままアブダビで仕事を続けるという選択肢はなかったのでしょうか。

永井 希望:

アブダビでの仕事は非常にやりがいがありましたが、それはあくまでも与えられたポジションのおかげであり、自分の実力によるものとは言い切れません。
このままでは自分自身で自分の実力を勘違いしてしまうのではないかと感じ、一度全てを捨ててゼロから挑戦しようと決意したのです。

スタクラ:

具体的には、何を目的に起業しようと考えたのですか?

永井 希望:

大きく言えば「日本が世界で尊敬される存在であり続けるため」です。
私は旅行が好きで、これまで76カ国を訪れましたが、「日本人である」ただそれだけで大きな恩恵に与ってきました。
日本のパスポートは非常に強力ですし、現地でも日本人として優遇的に扱われることが何度もありました。これは先人たちが築いてきた日本としての信用の賜物です。

ただ、こうした恩恵を享受する一方で、次の世代にこれが受け継げるのかという危機感も覚えるようになりました。
少子高齢化や財政問題など、日本が抱える課題は山積しています。特に大地震などの天災リスクと財政問題が掛け合わさることで、このままでは日本には近い将来深刻な危機が訪れるのではないかと考えるようになりました。

私は、孫の世代から「それが分かっていたのに、どうして何もしなかったのだ」と言われたくない。
「自分は日本の危機シナリオを想定し、それに対する自分なりのソリューションを考えしっかりと力を尽くしてきた。君らも必ずできるから頑張れ」と胸を張って言えるような人生を送りたいと考えました。

そのために、私が取り組もうと決めたのが「外貨を稼ぐ」というテーマです。
海外には、華僑や印僑に代表されるような「海外で働き、母国に送金・投資する」というネットワークが存在しますが、日本はそういった外貨還流の仕組みを持っていません。これは、日本が将来大きな災害などにより財政危機に陥った際に深刻なリスクとなり得ます。

私はこの問題に対して自分なりのソリューションをもたらすため、海外での事業展開を通じて外貨を獲得し、それをいざという時に日本に還元する仕組みを作りたいと考えました。
日本を売り込み、また日本企業の海外進出を支援することよって日本経済の活性化に貢献し、そして日本が厳しい状況に直面した時には救いの一端を担える存在になりたいと思ったのです。目指す姿はそう、日本初の在外日系財閥です。

壮大なビジョンの実現に向け、食品事業で第一歩を踏み出す

スタクラ:

2015年の事業開始から約10年、海外での起業には多くの困難が伴ったことと思います。多くの経営者が資金調達や人材確保、事業拡大に苦労していますが、永井さんはどのような壁に直面し、それをどう乗り越えて来たのでしょうか?

永井 希望:

創業直後に最も苦しんだのは、「財閥を作る」という壮大なビジョンを掲げたものの、具体的にどう進めるのかという道筋を描くことが難しかった点です。「千里の道も一歩から」と言いますが、たった1人での起業で一体どこから手を付ければ良いのか途方に暮れました。

手探り状態の中、最初に取り組んだのは食品事業です。
前職で企業誘致に関わる中で、日本の製品や文化、特に食品は高く評価されている一方で、日本が実際に輸出できているものは少ないというギャップの大きさを感じていました。
そこで、まずは分かりやすく目に見える形で日本のプレゼンスを高める方法として着目したのが日本の食品輸出でした。

例えば、スーパーに日本の食品が並ぶ様子を目にすれば、多くの人々が「日本のモノが増えたな」と実感するでしょうし、子供のころに日本の食品に触れる機会があれば、それが将来どこかで自分と日本を結びつける一つのきっかけになるのではないかと考えたのです。

しかし、食品業界での経験がなかったため、大手食品メーカーから仕入れを行うことは容易ではありません。そこで、初めは日本でOEM生産したPB商品を自らドバイに持ち込むことで事業をスタートさせました。
当初は通関手続きから保管、営業と配達、そして回収までを全て1人でこなす必要があり、刺激と学びに満ちた毎日を楽しむ一方で「これが財閥の設立に本当につながるのかな」と悩む時期が続きました。

スタクラ:

最初の商品はどのようなものを選ばれたのですか?

永井 希望:

抹茶や冷凍のお菓子など、日本らしい商品を取り扱いました。少しずつ実績を積み重ね、今ではコンテナ単位で出荷される弊社の主力商品となるまでに成長しました。

「KAGURA」ブランドの抹茶商品。日本をアピールしながらも、海外のお客様にとって分かりやすいかを重視し、試行錯誤の上デザインを決めていきました。

「KAGURA」ブランドの抹茶商品。日本をアピールしながらも、海外のお客様にとって分かりやすいかを重視し、試行錯誤の上デザインを決めていきました。

前職で築いた信頼関係が創業直後の資金や仲間集めに繋がる

スタクラ:

創業資金はどのように工面されたのでしょうか。

永井 希望:

友人に恵まれたこと、そして前職で多くの人と信頼関係を築いて来たことが幸いして、起業後も色々な仕事を紹介していただき、資金面での大きな苦労は経験することなくここまで来ることができました。

最初の大きな仕事は、ドバイで飲食店のフランチャイズを展開する現地の友人から依頼された、日本からの厨房機器の仕入れでした。その後も前職でお世話になった方々からコンサル案件や調査案件などを紹介・発注していただき、大変助けられました。
通常は大企業の看板が無くなるとお付き合いも途絶えるものだと思いますが、その後も変わらず声をかけてくれる方がたくさんいらして、本当に感謝しています。

スタクラ:

事業が回り始めれば人手が必要となりますが、永井さんは仲間集めの壁はありましたか?

永井 希望:

意外にも、優秀な人材がすぐに集まってくれました。最初に参加してくれたのは大学時代の後輩で、その後、現在コンサルティング事業部長をしている前職の元同期が参画してくれました。

彼は当時ドイツの顧客先に常駐していたのですが、直接会いに行き、「どうしてもうちに来てほしい」と誘いました。彼が来てくれたら会社が成長することはもちろんのこと、一緒に仕事ができればすごく楽しいだろうと思ったのです。
年収が下がることが分かっても来ると言ってくれたときは本当に嬉しかったですね。

スタクラ:

大企業で活躍されていた方々が創業直後のスタートアップに参画してくれた理由はどこにあったと思いますか?

永井 希望:

まだ若くて色々と身軽だったという要素はあるかもしれませんが、まずはこの事業が「社会的意義があり、面白そうだ」と魅力を感じてくれたことが一番だと思います。
そして、皆が「日本はこのままで良いのか」という共通の問題意識を持っていたことも大きな理由だったのではないかと感じています。

「商社×コンサルティング」の好循環が会社の成長をもたらす

スタクラ:

これまでを振り返り、会社が急成長する転機となった出来事はありますか?

永井 希望:

自分たちで配達を行う個別販売をやめ、現地の卸売業者とコンテナ単位での取引をするようなBtoBの商社に事業を転換したことが大きな転機となりました。特に、日本の某大手食品メーカーと取引を開始できたことが、急拡大のきっかけとなりました。

スタクラ:

超大手メーカーが、なぜ創業から日の浅いスタートアップと取引をしてくれたのでしょうか?

永井 希望:

以前より親しい関係を築いていたサウジアラビアの大手食品卸に協力を仰ぎ、取引の確約を得た上で、彼らに「絶対に大きな取引になります」と諦めずに何度も説得し、最終的に信頼を勝ち取れたことが大きかったと思います。

この会社との取引が契機となり、そこから他の企業との取引も広がっていきました。
以降は「商社ビジネスで得た実業のノウハウを活かしたコンサル事業を展開し、そのコンサル事業から得られる知見をもとに商社事業をさらに拡大する」という好循環が生まれ、会社の急成長に繋がって行ったと思います。

スタクラ:

コロナ禍は、貴社のようなクロスボーダービジネスには大きな影響があったと思いますが、どのように乗り越えたのでしょうか。

永井 希望:

たしかに、コロナの初期には「ウイルスが海外から荷物と一緒に運ばれてくるのでは」といった噂が流れ、また物流も混乱していたことから全ての取引がキャンセルとなるなどしてとても大きな影響を受けました。
ただ、幸いなことに手元に十分なキャッシュがあったことや、成長分野となったスーパー向け販売を強化するなど、市場の変化に柔軟に対応できたことにより、結果的には売上倍増という成果を叩き出すことができました。

振り返ってみると、「今やるべきことを着実に実行できれば道は開ける」という自信にも繋がる貴重な経験となったと思います。

「日本」輸出のゲームチェンジャーへ。ビジョン策定で戦略が明確化

スタクラ:

グローバルに事業を拡大していく上で、永井さんが特に苦労された点はありますか?

永井 希望:

事業を始めた当初は、「日本の食材を売る」という行為そのものが目的となり、未来への具体的なビジョンが欠如していた気がします。
もちろん、「日本」というブランドを世界に広げ、日本の経済に貢献したいという大きな志はありましたが、その目標を達成するための具体的な道筋を描くことが難しく、試行錯誤を繰り返す苦しい時期が続きました。

私たちの事業は、単一のプロダクトを売るのではなく、「日本の輸出」という大きなテーマに対して複合的なアプローチを行い、課題に対するソリューションを提供するものです。
そこで、私たちは改めて「自分たちはどうしたいのか」という視点からスタートし、日本の輸出における課題を深く掘り下げました。その結果、100年以上本質的な変革・イノベーションが起こっていない『「日本輸出」のゲームチェンジャーになる』というビジョンを定め、具体的な戦略を立てることにしたのです。

このビジョンを実現するために私たちが現在目指しているのは全ての生産者が気軽に自社所品を輸出できるオンラインプラットホームの開発です。これを実現するためには商社のノウハウやバイヤーとの信頼関係、そしてデジタル技術など、多岐にわたる要素を有機的に統合する必要があります。
現在、私たちはこれまでの知見と資金調達や大規模な投資を通じて、輸出を根本から変革するプラットフォームの構築を進めています。そして、このプラットフォームにより日本の優れた製品を世界中に広めることが、財閥という壮大な目標の実現に近づく道だと考えています。

ドバイ最大の展示会「Gulfood」にて。自社ブランドの抹茶を中東のディストリビューターに販売するドバイオフィスメンバーと日本オフィススタッフ。

ドバイ最大の展示会「Gulfood」にて。自社ブランドの抹茶を中東のディストリビューターに販売するドバイオフィスメンバーと日本オフィススタッフ。

2028年NASDAQ上場に向け、質の高い人材の確保が急務

スタクラ:

クロスリーチ社の今後の展望を伺えますか?また、その実現に向けて現在抱えている課題などもお聞かせ下さい。

永井 希望:

クロスリーチは2028年中のNASDAQ上場を計画しており、現在準備を進めているところです。そして、その実現のための課題としては、質の高い人材の確保と、それぞれが最大限に活躍できる環境の整備だと考えています。

現在、グループの売上は10億円を超え、創業当初のように自分一人で手売りしていた時代とは規模が全く異なります。私自身がすべての事業を引っ張るのではなく、他の人に任せる体制を作る必要があります。
同時に、新しい事業やシステム開発も進めており、人材の重要性がますます増しています。

また、クロスリーチは多様な国籍の社員が働く多国籍企業です。今後もグローバルな視点を持った、高品質な人材を積極的に採用していくつもりです。
こうした多様なバックグラウンドを持つ優秀な人材が溶け合い、活躍できるような組織文化を整えることが、経営者として私が取り組むべき重要な責務だと思っています。

スタクラ:

永井さんの考える理想の組織像や人物像についてもお聞かせいただけますか?

永井 希望:

理想の組織は、全員が共通の目標に向かって一丸となっている組織です。それぞれのやり方は違っても、「なぜその仕事をするのか」という目的意識が明確に組織全体で共有されていることが重要だと思っています。

また、人物像についてですが、まず私たちのビジョンに共感し、未来に向かって共に挑戦できる人を求めています。そして、目の前のタスクだけでなく、将来のビジョン実現に向けて今何をすべきかを常に考えて行動できる人が理想です。

私自身の話になりますが、2023年に「NASDAQに上場しよう」と目標を掲げたとき、すぐさまニューヨークに飛び、何のコネクションも持たない中でNASDAQ側から現地での実績が豊富な上場アドバイザーを紹介してもらうところまでこぎ着けました。
未来を具体的にビジュアライズし、実現を見据えた行動ができること。簡単ではありませんが、それが私たちの目指す姿です。

真のダイバーシティで「日本初の在外日系財閥」を実現したい

スタクラ:

最後の質問です。今このタイミングでクロスリーチに参画する魅力や働きがいについて教えて下さい。

永井 希望:

この会社の一番の魅力は、日本そして我々の世代にとって大きな意義のある事業に本気で取り組んでいることだと思っています。目指すは「日本初の在外日系財閥」で、視座高く真剣に世界を変えようとチャレンジしています。

また、現在の社員数はグループ全体で約30人、日本人と外国人の比率はほぼ1:1です。多様なバックグラウンドを持つ優秀な人材が集まる真のダイバーシティ環境で働けることも大きな魅力ではないでしょうか。

20代~30代の若い人材にとって、この会社はこれまで考えたこともなかったような新たな世界を知ることができる刺激とチャンスにあふれる場所だと思います。
誰もが自分の人生に大きな影響を与える経験をここで積むことができること、そしてそれがこの会社での働きがいに繋がっていくことを、経営者として願っています

スタクラ:

本日は素晴らしいお話をありがとうございました!

この記事を書いた人

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片山 真紀

慶応義塾大学経済学部出身。 新卒で大手通信会社にて営業およびシステムエンジニアとして衆議院、JICAや日本・海外の大学などでシステム構築を担当。 家族の海外赴任帯同と子育て期間を経て、アメリカのITコンサルティング会社で知的財産の専門家向け判例データベースのアナリストとしてデータ収集・分析等に従事。 2017年10月からライターとしてスタクラに参画、60人以上のCEOや転職者インタビュー記事を執筆。

株式会社クロスリーチ

株式会社クロスリーチ
https://xreach-inc.com/

設立
2013年03月
社員数
30名

《VISION》
「日本」輸出のゲームチェンジャーとなり、世界の人々の暮らしに華を添える
《事業分野》
商社、コンサルティング、システム開発
《事業内容》
■商社事業
日本産の食品、化粧品、化学品など多岐にわたる製品を世界中の食品卸事業者に向けて輸出・販売しています。また、自社ブランド製品の開発・販売も手掛けています。
■コンサルティング事業
マーケット現地に根を張ることによって得られたマーケットインサイトと実業(商社事業)から得られたノウハウを持つことを強みに、主に日本の政府機関や大手民間企業に対してリサーチ・コンサルティングサービスを提供しています。
■FBO(デジタル)事業
より多くの事業者様が気軽に自社商品を輸出できる世界を実現するため、受注業務から帳票出力、シップメント管理を効率化し輸出のハードルを下げるSaaS型貿易DXツール"ShipPass"の開発・販売を行っています。