
内外の現場で培った実装力を武器に、山本氏は大学で研究と社会を橋渡しをしています。IT企業での業務分析、赤十字の非常通信プロジェクト、北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)での社会人学生、そして産学連携コーディネーター。多様な経験に共通するのは「使える形に整える」視点。今回は、支援の中身と研究者・企業・行政をつなぐ勘所、そして石川で芽吹く大学発ベンチャーへの期待を伺いました。

研究推進センター 産学連携コーディネーター 客員教授
山本 外茂男氏
北陸先端科学技術大学院大学 博士(知識科学)。文部科学省産学官連携コーディネーターを経て、経済産業省・文部科学省などで知的財産や国際標準化、人材育成に関する委員を歴任。石川県産業革新戦略委員として地域産業にも関与。その後、北陸先端科学技術大学院大学 産学官連携推進センター長として、研究成果の社会実装と人材育成を推進し、能美市シニア・アドバイザーとして地域連携にも尽力してきた。現在は金沢医科大学で産学連携体制の強化に務めている。
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災害現場から産学連携の最前線へ
まず、自己紹介とこれまでの歩みを教えてください。
大学を卒業後、教員を目指して地元に戻りましたが、当時は採用の壁が高く、まずは生活を支えるために県内のIT企業に就職しました。営業と業務分析を兼ねるセールスエンジニアとして、製造・流通・医療・行政など北陸三県をまわり、業務の流れや人の動きを細かく観察しながら、半年から一年かけて改善提案を行っていました。経営者と直接向き合う中で、業界ごとの判断軸や価値観を学べたことは、今の仕事にも生きています。
その後、IT分野で培ったスキルを生かして、特許情報の検索や明細書の作成など、発明を支援する業務に携わりました。技術を「守る」だけでなく「どう社会に届けるか」を考えるようになった時期です。
転機となったのは、日本赤十字との出会いでした。非常通信の国際プロジェクトでアフリカやトルコの被災地に赴き、衛星通信や無線を駆使して混乱下で通信を確保する任務に参加。過酷な環境で「本当に使える技術とは何か」を突きつけられ、現場で役立つ科学の大切さを痛感しました。
この経験をきっかけに、JAISTで学び直し、社会人学生として学位を取得しました。未知の領域に飛び込みながら、自ら課題を見つけ、解決策を組み立てていく力を磨けたのは大きな財産です。卒業後は同大学で産学連携コーディネーターやセンター長を務め、現在は知的財産や契約、起業支援を通して研究成果を社会に橋渡しする仕事に取り組んでいます。
JAISTで学んだ “自分で動く力” とリーダーシップ
JAISTでの研究について教えてください。
研究テーマは大きく二つありました。一つは「災害地でも使える、耐久性の高い携行型コンピューターの開発」。もう一つは「多様な文化・宗教・価値観を持つ人々と協働し、限られた時間で成果を出すためのリーダーシップ」の探究です。赤十字の活動では、国籍も習慣も異なるメンバーをまとめる場面が多く、求められるのは専門知識よりも“人を動かす力”と“瞬時の判断力”でした。この経験が私の研究の原点です。
実は、当時の大学には私の関心分野に合う専門家がいませんでした。「自分でテーマを立ててみては?」と勧められ、ゼロから研究を組み立てることに。結果的に取り組んだのは、特許と論文をテキストマイニングで分析し、大学教員と企業のマッチングを支援する研究です。特許は「成果を守るもの」、論文は「成果を広げるもの」。その両方を言語解析して重ね合わせることで、研究がどの分野の企業と親和性を持つかを可視化する仕組みをつくりました。
この研究を通じて身についたのは、未知の課題に対して「誰かの答えを待たず、自分で動く」姿勢です。現場の課題を自ら拾い、必要な知識を取りに行く。こうした能動的なスタンスは、いまの産学連携の仕事にも直結しています。また、異文化のチームで学んだ「人の多様性を力に変える」考え方は、どんな組織でも活かせるリーダーシップの基礎になりました。
現在の役割——知財・契約・起業を“間に入って整える”
現在の大学では、どのような支援をされていますか。
今の仕事を一言で表すなら、“間に入って整える”ことです。研究者と事務、大学と企業——それぞれ立場も言葉の意味も違うため、誤解が生まれやすい。私はその間に入り、意見を翻訳しながら橋をかけています。
主な業務は3つあります。
1つ目は知的財産の仕組みづくり。特許制度の運用やルールの見直し、海外出願の判断などを通じて、研究成果を守りながら社会へ届ける環境を整えています。
2つ目は共同研究やライセンス契約などの調整。研究成果の帰属や秘密保持、出版の扱いなど、細部まで整理し、双方が納得できる契約にまとめる役割を担っています。
そして3つ目が、起業相談の伴走です。研究者が「会社を立ち上げたい」「資金をどう集めるか」といった相談を持ちかけたとき、市場調査や資金計画、チームづくりを一緒に考えます。医療・薬学分野は開発から実用化までの道のりが長く、規制も厳しい。だからこそ、どのタイミングで誰を巻き込み、どんな資金で乗り越えるか——その“道筋設計”が重要になります。
研究支援というと堅く聞こえますが、実際はとても人間的な仕事です。研究者が「何が分からないか分からない」という状態から、一緒に整理し、前へ進める。その地道な積み重ねこそが成果につながります。私は、研究がスムーズに社会へ流れるようにする“整流器”のような存在でありたいと思っています。

起業・資金・キャリア——“遠いゴール”より“いまの一手”
スタートアップ支援の難しさはどこにありますか?
スタートアップは、自己裁量でじっくり育てるビジネスとは異なり、資金提供者の意向や市場の変化に合わせて動くスピードが求められます。思い描いた通りには進まない。だからこそ、完璧を求めるより「まず動く」ことが大切です。情報を集め、仮説を立て、修正を恐れず前進する。その繰り返しが成果を生みます。
また、産学連携の現場では、専門性の高さよりも“広い理解力”が求められます。研究者、企業、行政——多様な立場の人と関わるからこそ、誠実な対話と柔軟な対応力が必要です。強い個性よりも、相手に合わせて変われる“しなやかさ”が、橋渡し役としての力になります。
石川で育つ研究とベンチャー——寛容さを強みに
地域の魅力と、大学から期待する未来像を教えてください。
石川県の人は穏やかで、外から来た人を自然に受け入れる懐の深さがあります。伝統を守りながら新しいものも柔軟に取り入れる気質は、研究や起業にも向いていると思います。一方で、伝統産業は盛んなのに、新しいベンチャーはまだ多くありません。だからこそ、大学発のスタートアップが地域を押し上げるような動きをつくりたいですね。
本学の研究者は、誰もが「より良い医療を届けたい」という思いを原点に研究しています。お金儲けではなく、患者の生活を支えることを目指している。その真っ直ぐな姿勢があるからこそ、私たち支援側も本気で向き合えるのです。
時間はかかっても、確実に人の暮らしを良くする技術を社会へ。石川から生まれる研究が、やがて日本、そして世界の未来を支える力になると信じています。
最後に、これからスタートアップに挑戦する人へメッセージをお願いします。
完璧な設計図はいりません。見えているのは“次の分岐”だけです。右か左か、仮説を持って一歩を踏み出す。間違っても、直せばいい。誰もやっていない場所にこそ学びがあります。その好奇心と柔軟さが、研究と社会をつなぐ原動力になると思います。
編集後記
IT企業で業務改善に奔走し、特許支援で技術を社会へつなぎ、さらに日本赤十字のプロジェクトで通信インフラを守る——どの仕事も、机上ではなく「人が困っている場所」に根ざしています。いま大学で研究者と企業をつなぐ仕事をされているのも、そんな“実務で鍛えた現場感覚”があるからこそだと思います。
穏やかな語り口の中に、挑戦を楽しむ前向きなエネルギーがあり、「現場起点で動く人」の強さを体現しているようでした。

