「点眼薬」で世界中の人が見える世界をつくる。

福井大学学術研究院工学系部門 生物応用化学講座 教授 沖 昌也氏

株式会社ビジョンインキュベイトマネージャー 髙道 郁人氏

糖尿病網膜症などの「網膜の病気」は、いまも目の中に注射をする治療が主流で、患者さんの負担が大きいのが現状です。その常識を変えようと、「目薬で根本から治す」ことに挑むのが福井大学の沖氏。病気の“原因の分かれ道”を見つけて最初の段階から治す発想で、目の血流が悪くなる「虚血」そのものを改善する新しい薬を開発しています。ビジョンインキュベイトの高道氏の事業化支援を受け、安全性の確認から薬の形づくり、海外申請までを見据え、未来の治療に挑んでいます。

沖 昌也氏

学術研究院工学系部門 生物応用化学講座 教授
沖 昌也氏

福井県出身。九州大学大学院医学系研究科で博士号を取得後、米国立衛生研究所(NIH)に留学。長崎大学医学部助手、理化学研究所研究員を経て、2006年から福井大学工学部に准教授として着任。2009年から3年間JSTさきがけの研究員を兼任し、2018年から福井大学大学院工学研究科教授に就任し、現在に至る。同2018年から福井大学ライフセンターイノベーションセンター副センター長、2023年からは日本学術会議連携会員を兼任。専門は分子生物学。現在、2年後のスタートアップを目指し奮闘中。

髙道 郁人氏

マネージャー
髙道 郁人氏

富山大学(経済学部)卒業後、北國銀行へ入行。2店舗での法人営業を経て、北陸経済連合会へ出向。国際交流、北陸の企業と国内外の企業とのビジネスマッチング、並びに北陸のスタートアップ支援に注力した後、北國銀行関連会社のCCイノベーションにて国内M&A、及びクロスボーダーM&Aに従事。
大学発新産業創出基金事業「スタートアップ・エコシステム共創プログラム」の「Tech Startup HOKURIKU」プラットフォーム事業における受託事業の企画・運営・管理等のプロジェクトマネージャー、投資事業にかかるアソシエイト業務を担う。

株式会社ビジョンインキュベイト

株式会社ビジョンインキュベイト
https://visionincubate.com/jp/

細胞の“時間”を巻き戻す──エピジェネティクスが導く新しい治療法

スタクラ:

現在の研究と、そこに至る原点を教えてください。

福井大学 学術研究院工学系部門 生物応用化学講座 教授 沖 昌也氏(以下敬称略):

私は「エピジェネティクス」という分野を研究しています。DNAそのものをいじらずに、遺伝子の“オン・オフ”のしかた(使い方)を調整する考え方です。イメージとしては、細胞の時間を少し巻き戻して健康な状態に近づけるような発想ですね。

福井出身で、高校の同級生が眼科医だったことがきっかけとなり、「目の病気を治せる研究をしたい」と思うようになりました。目は左右で比較しやすく、動物実験や細胞実験の環境も整っている点も魅力でした。

最初は白内障の研究から始めました。結果として、にごり(混濁)を元に戻せることを確認し、「ならば網膜症にも同じように“根っこ”となる分岐点があるのでは」と考えるようになりました。スクリーニングを重ねて“カギとなる因子”を見つけ、その働きを止める化合物を共同研究で開発。改良を重ねて、いまは薬として形にしていく段階にあります。

現在は、人で試す前の安全性や効果を確かめる非臨床試験、点眼薬としての製剤化、申請準備など「薬に仕上げる工程」に進んでいます。最終的には、自分たちの会社で実用化まで進めたいと考えています。

ヒトは約2万3000個の遺伝子を持つ。生活習慣の変化が遺伝子のON/OFFを切り替え、病気のきっかけとなることもある。

「点眼で根治」を実現する──世界中の人が“自分の手で治せる”未来へ

スタクラ:

この研究や薬の開発の強みはどこにありますか?

沖 昌也:

強みは、「世界中のどこにいても、自分の手で治療ができる」という点にあります。注射ではなく点眼で治せるようになれば、先進国だけでなく、医療環境の限られた地域の人々にも治療の機会を届けることができます。注射なら効くことはわかっていますが、点眼で角膜を越えて薬を眼内に届けるのはとても難しい。それでも、この壁を越えられれば、先進国だけでなく発展途上国の人たちにも治療の機会を広げられます。

白内障のときもそうでした。手術ができない地域は今も多くあります。点眼で治せれば、痛みや恐怖、通院負担、医療費の重さから解放されます。私はいつも「世界中の人が見える世界をつくる」と言っています。点眼薬は、その理想を現実にするための形なんです。

株式会社ビジョンインキュベイト マネージャー 髙道 郁人氏(以下敬称略):

現在の糖尿病網膜症に対する治療は、「目に注射を打つ」非常に侵襲性が高いものになっております。また、1回の投与完治させることができておりません。多数の競合他社が「効果を長持ちさせる(投与期間を延ばす)」アプローチで改良を進めてい一方で沖先生は、根治の可能性を秘めている治療薬の開発に挑んでいます。加えて、注射ではなく点眼薬の可能性もありますので、より多くの患者さんを救うことができることも大きな魅力です。

また、沖先生は研究者としての科学的な知見だけでなく、プロジェクトを実際に前へ進める推進力にも長けており、そこが大きな強みだとも感じています。

スタクラ:

研究の中で嬉しい瞬間はどんな時ですか?

沖 昌也:

この分野は“はずれ”の連続です。長いスクリーニングの中で“これだ”と手応えを感じたとき、どんな苦労も報われます。その確信した瞬間がすごく嬉しいので、スクリーニングを繰り返してるっていう感じですかね。

研究と事業の間に橋をかける──伴走者との出会い

スタクラ:

事業化の体制について教えてください。

髙道 郁人:

私は2024年に沖先生と出会い、研究内容とお人柄の両方に惹かれました。そこから、TeSHのSTEP2(※)で事業化支援に携わることになりました。現在は先生方の意思を尊重しながら、事業開発の支援をしております。

※TeSHのSTEP2:R7年度大学発新産業創出基金事業 スタートアップ・エコシステム共創プログラム TeSH GAPファンドプログラム

沖 昌也:

研究面では、医薬品の開発と承認を熟知した専門家、創薬の道筋を描ける方々、眼科領域に強い人材が加わって、強いチームになってきました。ただ、まだ「経営の核」となる人物がいません。

資金については、例えば、前臨床の見積りだけで約5億円、製剤で約1億円。臨床は桁が一つ二つ上がるといった費用がかかります。さらに特許は出願から原則20年。前臨床や製剤、フェーズI〜IIIで年単位が溶けていくので、とにかく止まらず前に進めていくことが大事です。そのためにも経営人材が必要だと考えています。

求める経営人材──“熱を伝え、共感を動かす力”

スタクラ:

「経営の核」となる人材には、どのような資質を求めますか?

沖 昌也:

開発している点眼薬の一番の強みは、今根治できない病気が治せる可能性があるということ。何が既存の薬と違うのか、どこに私たちの強みがあるのかということを主体的にアピールしてほしいです。資金調達も含め、チームの議論と外の対話を行き来させながら前へ進める姿勢が大切。そこが噛み合えば、走りは劇的に速くなります。

髙道 郁人:

テクノロジーの理解も大切ですが、私はまず“熱を伝えられるか”を重視しています。資金調達や事業連携の現場では、細かい技術説明よりも、「このプロジェクトに投資したい」と思わせる力が必要です。短い時間で相手に腹落ちしてもらう──その熱と説得力が、最終的に事業を前へ進めます。

理想を言えば、創薬の全工程を経験し、規制対応や海外展開まで描ける人。しかし、すべてを一人で担うのは現実的ではありません。だからこそ、“熱量×対話力”を持つ人とチームで補い合うことが重要だと思います。技術の深掘りは研究陣と一緒に行えばよい。大切なのは、人を動かし、共感を広げられるリーダーシップです。SO(ストックオプション)や副業など、柔軟な関わり方も考えています。

「見える」を守ることが、健康寿命を守ること

スタクラ:

この研究が社会に与える影響をどう見ていますか?

沖 昌也:

目の病気は命に直接は関わりませんが、生活の質を大きく左右します。見えにくくなると行動が減り、元気が落ち、将来的に介護の負担も増える。網膜症は生活習慣病とともに増え続けています。

点眼で根治できれば、患者さんの負担を減らせるだけでなく、医療財政への効果も大きい。注射治療は費用も回数も多く、重い負担になっています。。その負担が減る未来は、社会全体にとってプラスになるはずです。

髙道 郁人:

また、福井のような地方には“顔の見える距離感”という強みがあります。医工連携が進んでいて、学内外の協力が得やすい。支援の質が高く、県もスタートアップ支援に積極的です。支援のクオリティって、受け手の研究の伸び方に直結するんですよ。規模が小さい分、手厚く伴走できる。この環境が挑戦を後押ししてくれています。

スタクラ:

最後に、今後のビジョンを教えてください。

沖 昌也:

 “注射に頼らず、点眼で根治”。これを当たり前にしたいと思っています。手術をすれば、結果的には日本やアメリカといった先進国の人は治ります。 でも、発展途上国では手術ができないので治らない。それを点眼薬というもう一段高いハードルを越えて、世の中に届けたいです。

そしてこのアプローチは他疾患にも広がります。病気の分岐点を正すエピジェネ創薬は、神経変性や線維化などの病気にも応用可能です。「世界中の人が見える世界をつくる」。 そのために、今日も一歩ずつ前に進んでいきます。

編集後記

髙道さんが話していた「沖先生は人を巻き込む力がある」という言葉が、とても印象に残りました。実際にお会いすると、その意味がすぐにわかります。点眼薬の未来を本気で語る姿に引き込まれました。
“点眼で根治する”という挑戦は、今の常識をひっくり返すような試みです。注射に頼らず、世界中どこでも自分の手で治せるようになる——そんな明るい未来が見えました。

この記事を書いた人

佐藤 鮎美


佐藤 鮎美

【所属】株式会社スタートアップクラス マーケティング部 【経歴】大学卒業後、リクルート広告代理店に入社。その後、(株)リクルートホールディングスにてバックオフィス業務全般を行い、(株)ジュリスティックスでは人材紹介を含むアシスタント業務を行う。2022年4月よりスタートアップクラスへ参画。 【スタートアップへの思い】 志をもった素晴らしいスタートアップがあることを知ってもらい、良い出会いからスタートアップの事業成長に繋がれば嬉しいです!

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