スタートアップで地球規模の未来を支えたい、名古屋大学発ディープテックの挑戦

名古屋大学ディープテック・シリアルイノベーションセンター センター長/未来材料・システム研究所 教授 宇治原徹氏

全国有数の工業県である愛知県は、運送用機械器具や電気機械器具など、製造業24種のうち10種で全国シェア1位を45年以上にわたり独占しています(※1)。
今回お話を伺ったのは、そんな愛知県で企業とのディープテックに注力している、名古屋大学ディープテック・シリアルイノベーションセンター(Dセンター)の宇治原徹教授です。

宇治原教授の専門は、自動車やスマートフォンなど、現代社会に欠かせない製品に必ず組み込まれている半導体素材の研究開発です。
ものづくりの町・名古屋で、教育者や研究者としての枠を超え、ディープテックのスタートアップ企業の経営者としても多方面で活躍されています。

今回は、名古屋大学発のスタートアップやディープテックの仕組み、スタートアップを始めるに至った背景、さらに名古屋ならではの仕事の魅力について、ざっくばらんにお話を伺いました。

(※1)https://zofrex.co.jp/yano.pdf

宇治原徹氏

ディープテック・シリアルイノベーションセンター センター長/未来材料・システム研究所 教授
宇治原徹氏

2000年、京都大学博士(工学)修了。東北大学金属材料研究所の助手、名古屋大学大学院工学研究科結晶材料工学専攻の助教授を経て、2010年に名古屋大学大学院工学研究科マテリアル理工学専攻の教授、2015年より同学未来材料・システム研究所 未来エレクトロニクス集積研究センターの教授に就任。その他、同学のディープテック・シリアルイノベーションセンター長や、国立研究開発法人産業技術総合研究所 中部センター窒化物半導体先進デバイスオープンイノベーションラボラトリ ラボ長(クロスアポイントメント)も務める。
これまで、放熱素材を開発する株式会社U-MAP(現取締役CTO)、マテリアルズ・インフォマティクスを推進するアイクリスタル株式会社(現取締役)、SiC単結晶の溶液成長法による事業化を目的とした株式会社UJ-Crystal(現代表取締役) 3つのベンチャーを設立。

名古屋大学

名古屋大学
https://www.nagoya-u.ac.jp/index.html

≪名古屋大学≫

世界と伍する
研究大学を目指します

学術研究と教育・人材育成を両輪とし、地域創生と人類課題への貢献を果たすための取り組みを進めることで、卒業生や地域社会の皆様が応援したくなる名古屋大学であり続けます。そして全構成員が誇りに思い、喜びを感じることができる名古屋大学を築いてまいります。

≪ディープテック・シリアルイノベーションセンター≫

学士課程から博士後期課程まで階層的に、大規模かつ学際的にアントレプレナーシップ教育を行い、本学の持つ高度技術シーズの社会実装を加速する土壌を醸成することによって、イノベーションの創出を加速するための基盤となる新しい価値観を生み出すことのできる人材を育成し、もって我が国の意識・活力の底上げに寄与する。

https://www.d-center.nagoya-u.ac.jp/

まるで興味のなかったスタートアップ

スタクラ:

まずは宇治原さんのご経歴と、スタートアップを始めるまでのことをお聞かせいただけますか。

名古屋大学 ディープテック・シリアルイノベーションセンター センター長/未来材料・システム研究所 教授 宇治原徹氏(以下敬称略):

学生時代は、基礎研究に近い素材の研究をしていました。卒業後は東北大学で助手として働きましたが、そのとき指導してくださった教授が企業出身の方で、技術を実用的に活用する考え方を教えてくださいました。
振り返ってみると、その経験が非常に役立っています。しかし、当時の私は「自分は研究者だ」という意識が強く、技術の実用化には全く興味がなく、強い違和感を感じていたのを覚えています。
その後、ものづくりの町・名古屋に来ましたが、この時点でもスタートアップをやりたいという気持ちは全くありませんでした。

スタートアップに携わることになった背景

スタクラ:

まったく興味がわかなかったところから、スタートアップ経営や起業家教育に関わることになった背景を教えていただけますでしょうか。

宇治原徹:

時代の流れと名古屋という地域性が大きいと思います。
2010年頃から、「技術の社会実装をどう進めるのか」という議論が大学内でも徐々に聞かれるようになり、それに伴い、大企業から中堅・中小企業まで、さまざまな会社から共同研究の依頼が増えていきました。

当時の名古屋の製造業界には、新規事業を次々と立ち上げなければならないという風潮がありました。しかし私は、中小企業には新規事業を立ち上げる余裕がないと感じていました。大手企業とは違い、中小企業は日々の業務に忙殺されており、新規事業を立ち上げるための人手も時間も不足していたからです。

そこで私は、地元の中小企業と学生を結びつけることを目的とした一般社団法人「未来マトリクス」を設立しました。
技術はないけれど面白いアイデアを持っている学生と、企画立案の時間はないけれど技術を持つ中小企業を結びつければ、何か面白いプロジェクトが生まれるのではないかと考えたのです。この取り組みは見事に成功し、地域のさまざまな人々が興味を持って集まるようになりました。
その結果、私の人脈も広がり、予想以上に大きな成果を得ることができました。

その場に集まってくれた人の中には、私のゼミ生や、現在地域の第一線で活躍している方々もたくさんいましたが、とある一人の会社の社長さんとの出会いが私のスタートアップの直接的なきっかけとなりました。
その方が「大学の先生は、アメリカのようにベンチャーを立ち上げ、大金持ちになり、憧れの職業になるべきだ!」と熱弁を振るい、私はその熱意に押され、結果的にスタートアップを始めることになったのです。

ただ、私自身も「やるつもりはない」と言いながらも、未来マトリクスに参加した教え子たちが次々とスタートアップを成功させていく姿を目の当たりにして、「教え子にできるなら自分にもできるはずだ」と心のどこかで思い始めていたのだと思います。
要するに、学生たちから刺激を受けたのです。
「彼らが頑張っているなら、俺もやってみるか」と。そして、その社長さんの支援を受け、2016年にスタートアップを立ち上げました。

名古屋大学には、教授が企業の取締役になれるという非常に良い制度があります。この制度のおかげで、教鞭をとりながらも、研究に関連するスタートアップ企業を立ち上げることができました。
ただ、私の研究室では放熱素材、AI、半導体など多岐にわたる研究を行っており、決して一つのスタートアップに収まるような範囲ではありませんでした。一つにまとめようとすれば、リソースの分散が生じ、大変な事態になるのは明らかでしたので、その結果、最終的に3つのスタートアップを立ち上げることになったのです。

省エネ技術を事業化し、世に普及させたい

スタクラ:

宇治原さんが現在取り組まれている名古屋大学発ディープテックのスタートアップ企業について、簡単に教えていただけますか?

宇治原徹:

簡潔に言うと、私は半導体を活用した省エネ技術の研究・開発を行っています。専門はパワーエレクトロニクスと呼ばれる分野で、半導体素材の開発や、そのプロセスで用いるAIの開発にも取り組んでいます。

立ち上げたスタートアップは3社あります。

1つ目は株式会社U-MAPで、放熱素材の開発を行っています。この会社では、電気製品から発生する熱を効率よく取り除くための省エネ新素材を開発しています。
2つ目はアイクリスタル株式会社で、こちらはAIの開発を行っています。この会社は当時のゼミ生と一緒に設立したもので、研究室で開発した素材プロセスのためのAI技術を製造業全般に広げることを目的としています。

そして、3つ目が現在最も力を入れている株式会社UJ−Crystalです。この会社では、シリコンカーバイドという半導体素材を用いて、高品質な半導体結晶を作る技術を開発しています。この技術を事業化し、広く世に普及させたいと考えています。

Dセンターは研究者の情報発信や技術交流などを推進する施設が併設され、様々な研究者の交流の場としても利用できる。

起業で気付いたスタートアップの魅力

宇治原徹:

いざ始めてみると、研究室で苦労して取り組んでいたことが、スタートアップではスムーズに進むことに驚きました。また、これまで自分が思い込んでいたことが必ずしも正しくないと気付かされる場面も多々ありました。

たとえば、大学内で社会実装までをすべて担わなければならないと思い込んでいましたが、実際にはそうではないと分かりました。一方で、企業との共同研究では、社会実装はすべて他人任せになると思い込んでいましたが、実際には自分が直接関わる余地もあることが分かってきました。

その経験を通じて、大学の中だけで研究を進めるよりも、スタートアップを通じて活動する方が自分の夢を実現するためには適しているのかもしれないと感じました。可能性が一気に広がる実感があり、「これは面白いなあ」と心から感動しました。

Dセンターが目指す起業家教育の着地点

スタクラ:

宇治原さんはスタートアップやディープテックに深い知見をお持ちで、起業家教育やディープテック支援にも携わっていますが、大切にしているスタンスや考え方はありますか?

宇治原徹:

名古屋大学ディープテック・シリアルイノベーションセンター(Dセンター)で起業家教育を行っています。このプログラムは全学必修で、2000人以上の学生が受講しています。

ただし、私たちが提供しているのは“起業家を育成する教育”ではありません。起業家になる前段階、いわばマインドの醸成を重視しています。
起業家になるかどうかも分からない学生に具体的なスキルを教えても、多くの学生にとっては役に立たないことが多いです。我々教員や大学としては、学生に起業してほしいのではなく、社会課題を解決する力を身につけてほしいと考えています。そのためのアントレプレナーシップ教育を提供しています。

人材育成で重要なのは、知識やスキルだけでなくマインドです。知識やスキルの伝授は、経験があれば誰でもできますが、マインドの教育は非常に難しいものです。多くの経営者は「マインドの教育くらいできる」と考えがちですが、我々教育者から見れば、本当に効果的な教育ができる人は多くありません。だからこそ、この部分は教育のプロである大学が担うべきだと考えています。

スタクラ:

起業家や経営者に対する支援についてはどうお考えですか?

宇治原徹:

起業家の具体的な悩み相談は、我々のミッションには含まれていません。ディープテックに限らず、ベンチャー支援の大半は一般化が難しいと考えています。参考になるのは、ごく一部の共通項、たとえば営業の方法、資金調達のテクニカルな部分、上場準備の進め方などです。これらは私よりも適任な方が教えるべきだと思います。

一方、ディープテック支援については、技術的な問題が深くなるほど個別性が高まり、相談に応じるのは難しいのが現状です。製造や生産に関する技術的課題はケースごとに異なり、汎用的なアドバイスが通用しないことが多いのです。経験に基づいて助言できることもありますが、悩みに寄り添いながら伴走するという形での支援はしていません。

内側から見た名古屋大学発スタートアップ・ディープテックの特徴と魅力

スタクラ:

宇治原さんから見た、名古屋大学発スタートアップ・ディープテックの特徴について教えてください。他大学と比べて独自の特徴がある部分や、製造業との関係についてもお聞かせください。

宇治原徹:

名古屋大学発ディープテックの最大の特徴は、地域との密接なつながりです。名古屋大学を拠点に、大手企業からスタートアップまで、関連企業のキーパーソンに比較的簡単にアクセスできる環境が整っています。名古屋はコンパクトな町でありながら、近隣に世界的なメーカーが多数集まっているので、研究・開発をするうえで非常に便利です。

たとえば、飲み会に行くと、最初は商社の方と飲んでいたはずが、気が付くと隣に世界的大企業の元社長が座っている、なんてことも珍しくありません。この「手を伸ばせば届く」感覚は、名古屋特有の魅力だと思います。

さらに、公的機関、企業、大学が一体となって「ものづくりを武器にする」という共通の柱を掲げているのも大きな特徴です。特にディープテックでは、製造や生産のパートナー企業を見つけることが重要です。その際、愛知県や中部経済産業局が持つ物づくり企業に関する豊富な知識とコーディネート力が非常に役立っています。最適なパートナー企業を紹介してもらえることも多く、そういったサポートに救われる場面が多々あります。

名古屋大学自体もディープテックに特化した支援体制を整えており、スタートアップ活動を非常に進めやすい環境です。こうした公的機関、企業、大学の三位一体の連携は、他大学にはあまり見られない名古屋大学の強みだと感じています。

スタクラ:

働く上での魅力はいかがでしょうか。

宇治原徹:

製造業に携わりたい人にとって、名古屋で働く価値は非常に高いと思います。
たとえば、東京の商社と比べて、名古屋の商社はモノづくりに強く、特に自動車産業を中心にしたつながりは圧倒的で、製造業に関する相談には最適な存在です。こうした大企業がすぐ近くにあるというのは、大きなメリットです。

また、名古屋の地理的な優位性も見逃せません。東京まで1時間半で行ける距離は、仕事を進める上で非常に重要です。名古屋は、製造業に強みを持ちながら、東京とのアクセスの良さも兼ね備えています。この「東京に近い」という点が、むしろ名古屋の魅力の一つだと思います。

学生をはじめ多くの人が集い、明るい施設では会話も弾む

情報と人材の課題、製造業界に必要な経営者の素質とは

スタクラ:

一方で、課題やネガティブな情報はありますか?名古屋大学発スタートアップ・ディープテックで働きたい人が、あらかじめ知っておいたほうがいいことがあれば教えてください。

宇治原徹:

魅力の話ともつながりますが、専門性の高い技術分野に関しては名古屋が圧倒的に強みを持っています。ただし、全体的な情報の集約度で言えば、やはり東京には及びません。東京の丸の内には、国、商社、主要メーカーなどのトップレベルの人材が集中しており、丸の内に1日いれば話がほとんど済むような状況です。一方で、名古屋ではそうはいきません。そのため、私自身も頻繁に東京に出向いています。

スタクラ:

具体的には、どのような情報が東京と名古屋で異なるのでしょうか?

宇治原徹:

たとえば、国の方針や業界の大きな動向、大口顧客がどこにいるかといった「大きな話」です。私たちの研究開発分野では、エネルギーや半導体など、対象が非常に巨大です。そのため、そういった情報を取りまとめるには東京に行かざるを得ません。また、ベンチャーキャピタル(VC)や人材も多くが東京に集中しています。
オンライン会議が普及した時代ですが、実際に顔を合わせて話すことで得られるスピード感や深さには、やはり直接会う価値があります。

スタクラ:

スタートアップ企業では、人材不足が課題として挙げられることが多いのですが、その点についてはいかがですか?

宇治原徹:

人材不足はスタートアップ全般の課題ですが、私自身は現場での人材不足を特に感じたことはありません。これは、おそらく私たちのスタートアップが、人を相手に戦うタイプではなく、ものづくりに特化しているからだと思います。

ただし、経営層の人材を探すことは難しい部分があります。外部から社長を招いたり、ビジネス系の人材を集める際には、信頼関係を築ける人物であることが非常に重要です。
経営者に求めるスキルは、トップレベルの能力を持った「4番バッター」である必要はありません。仲が悪い4番バッターより、信頼できる補欠の方がチームにとって有益だという考えです。
現場がある名古屋で見つけることがより良いと感じていますが、そのようなバランスのとれた経営層の人材を見つけることは、なかなか難しいことだと感じます。

スタクラ:

入社後に大きなミスマッチを感じた経験や、名古屋大学発スタートアップ・ディープテックで働く際の向き不向きについて教えてください。

宇治原徹:

名古屋という地域が原因でのミスマッチはほとんどありませんが、ディープテックそのものとのミスマッチは起こり得ます。たとえば、製造業以外の分野で活躍していた経営者を招いた際、業界の時間軸や価値観が異なるために意見が噛み合わなかったことがあります。サービス業の経営者の視点と製造業の研究者の視点は根本的に異なるため、製造業に合った経営をしてもらうことは非常に難しい状況でした。

このように、業界に合わせて価値観を柔軟に変えられない人だと、お互いにストレスを感じることになります。そのため、異業種から飛び込んでくる場合は、新たなチャレンジとして捉え、大きな価値観の変化を受け入れる覚悟が必要だと思います。

名古屋大学発ディープテックで働きたいと考えている人へのメッセージ

スタクラ:

家族を伴って名古屋に移住する場合、ご家族が名古屋のコミュニティに溶け込むのに困ることはないでしょうか?快適に暮らす工夫はありますでしょうか。

宇治原徹:

他所から来ている人はたくさんいますし、私自身も名古屋出身ではありませんが、排他性を感じたことはありません。特に心配する必要はないと思います。
ただ、名古屋は車社会ですので、車を運転できる方が便利でしょう。道幅は広く、渋滞も少なく、コンビニにはどこでも駐車場があります。東京と比べると、圧倒的に暮らしやすい街だと感じます。

スタクラ:

最後に、名古屋大学発ディープテックで働こうと考えている方にメッセージをいただけますか?

宇治原徹:

私たちが目指しているのは、世界規模の挑戦です。たとえば、CO2削減においても、身近な節電の話をするのではなく、世界全体で10%削減するというような壮大な目標を掲げています。未来や地球規模の課題を変えることは、非常に大きな挑戦ですが、名古屋ではそうした目標を嘘くさくなくリアルに語ることができます。
グローバルで大きなビジョンに共感し、挑戦したいと思う方には、ぜひ名古屋に来ていただきたいです。

スタクラ:

貴重なお話、ありがとうございました。

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スタクラ編集部

「次の100年を照らす、100社を創出する」スタクラの編集部です。スタートアップにまつわる情報をお届けします。

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