
幼い頃から「これは食べないで」と制限されるつらさは、本人だけでなく家族の生活や心理にも深く影響します。金沢大学の渡部氏は、製薬企業で35年にわたり創薬に携わってきた経験を生かし、小児科医らと連携して「食べても大丈夫かをより正確に判断できる診断法」の確立を目指しています。食物アレルギーを正しく見極め、将来は治療へとつなげることで、「食べる」自由をすべての人へ——その挑戦を、支援者の松本氏も交え伺いました。

特任教授 金沢大学医薬保健学総合研究科・IgG4関連免疫学
渡部 良広氏
製薬企業等での創薬経験を背景として、アカデミア研究者のネットワークを構築して、新たな治療薬、ワクチン、診断法の開発を行っている。本課題は、北陸地区大学医学系研究者(福井大、金沢医科大、金沢大)の連携をベースに実施したAMED研究事業の成果を、社会実装につなげることを目標としている。

特任准教授 先端科学・社会共創推進機構
松本 健氏
大学での教員・研究から、民間企業の研究所勤務、その後、科学時術振興機構(JST)にて産学連携部門に従事した。北陸地域にて、北陸先端科学技術大学院大学、金沢大学でURAとして主に大学間連携による産学連携活動に従事している。異分野融合研究ユニットの構築から実装フィールドまで、一気通貫で伴奏支援を心掛けている。
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創薬からアレルギー研究へ
まず、研究の概要を教えてください。
私はもともと製薬企業で抗がん剤、抗体薬やワクチンなど、さまざまな薬の開発をしてきました。大学に移ってからは小児科、血液免疫内科や腎臓・リウマチ膠原病内科の先生方とチームを組み、食物アレルギーをテーマに研究しています。
アレルギーは「体が本来無害なものを敵と誤認して攻撃してしまう」反応です。ここで鍵を握るのが二つの抗体——IgEとIgG4です。IgEは症状を引き起こす“攻める抗体”、一方のIgG4はその働きを抑える“守る抗体”。この二つが食物アレルゲンのどの部分(エピトープ)に反応しているかを細かく見ることで、「食べても安全か」をより正確に見極められると考えています。
同じアレルゲンでも、各人によって「IgEが反応している場所」が違います。たとえば同じ牛乳アレルゲンに反応するIgEでも、反応する場所が“刺激の少ない部分”なら、食べられる・飲めることもあります。逆にIgE値が低くても、“危険な部分”に反応していれば発症する。即ち、IgEによるアレルギー反応は”量”も大事ですが、「どこに反応しているか」のIgEの”質”も大変重要なのです。

現行検査の限界——安全のために「食べない」という選択
現在の検査にはどんな課題がありますか?
一般的な検査では血液中のIgEの“量”しか測れません。そのため、数値が高ければ「危険」、低ければ「安全」と判断されますが、問題は中間の数値の人です。実際には食べても大丈夫な場合もあるのに、アレルギー反応が誘発されるリスクを回避するために「食べないでください」と指導されることも多いのです。
これは大きな社会課題でもあります。少子化が進み、保護者も医師も“安全第一”にならざるを得ない。でもその結果、過剰診断が起きて、成長期の栄養不足や心理的ストレスを招いてしまうんです。正確に「食べても大丈夫」と言える診断があれば、無用な我慢を減らせます。
たとえば経口免疫療法(OIT)という、臨床研究として行う治療法があります。少量ずつ食べて体を慣らす方法ですが、「どの患者がどの段階まで安全か」を判断する指標が今はまだ曖昧なんです。だからこそ、もっと根拠のあるデータで“食べられる”を判断できるようにする必要があります。その背景として、小児の食物アレルギーを治すには、継続的に原因食物を少量ずつでも摂食することの必要性が判明しているからです。
新しい診断法——「食べても安全」なら治療の選択肢が広がる
新しい診断法について教えてください。
私たちは、食べ物のタンパク質を細かく分解し、それぞれの断片(エピトープ)にどの抗体がどれだけ結合しているかを測る方法を開発しています。
たとえば牛乳を構成するタンパク質を14種類の断片に分け、それぞれにIgEやIgG4がどの程度反応するかを調べます。すると、症状を引き起こす“危険な断片”と起こさない”危険でない断片”、抑制的に働く“IgG4が認識する断片”の違いが見えてきます。従来の検査では分からなかった「反応の質」が分かるようになるのです。これにより「食べても安全か」という判断ができるようになります。
しかもこの手法は、既存の血液検査と併用できる設計です。たとえば、乳幼児検診などで全ての子どもが検査を受け、その結果に基づいて、OIT療法などで治るか、他の治療が必要かなどの判断をし、安心して治療を選択できるという可能性も見えてきます。まずは既存検査と同等の精度を確保して保険適用を目指し、その後に、より個別化した診断に発展させるステップを描いています。
現場の先生にも使いやすくするために、まずは14断片をまとめて測定する形にしました。臨床の場面で使用できるようにするハードルも少し低く、全国どこでも使えるようになってほしいと考えています。
診断から治療へ——根本から変えるための次の一手
今後の展開について教えてください。
診断で「なぜ発症するのか」が分かれば、逆に「どうすれば発症しない体質にできるか」も見えてきます。いま注目しているのは、アレルギーを抑える抗体IgG4の中でも、特定の危険断片にピンポイントで結合するタイプ。それを人工的に再現した組換え抗体を体内に投与し、IgEの反応そのものをブロックする治療薬を開発しています。
これが実現すれば、「一生食べられない」と言われていた人が、治療によって安心して食べられるようになるかもしれません。
この技術の可能性は、国内だけでなく世界中に広がります。牛乳アレルゲンで見つけたこの方法は、卵、小麦、ピーナッツなど主要なアレルゲンに応用可能です。食物アレルゲンは世界共通ですから
まずは国内で牛乳アレルゲンIgEの測定法としてしっかり認証を取り、引き続いて、危険な断片をプロファイルする診断測定法を開発します。その次に、国際展開を視野に進めたいと思っています。治療薬の開発には、時間と費用が掛かります。海外で開催される製薬企業などとのマッチング機会(BIO International、他)に参加して、海外メジャー製薬や投資家との接点を作りたいと思います。

チームの力で進む——“顔の見える距離”が強み
研究チームの体制について教えてください。
臨床は小児科の先生を中心に、5つの大学病院などと連携しています。また開発メンバーは月に一度はWEBや対面で集まり、進み具合と「ちょっとした気づき」を共有します。私は、オンラインでは拾いにくいアイデアや関連付けが、メンバー間の雑談から生まれることも多いと思っています。
例えば、実験の進み具合を相談する場面で「14個の断片を全部まとめて測る」というアイデアが出てきました。そうした現場の柔軟さとスピード感が私たちの強みです。
大学の手続きは慎重でスピードが課題ですが、研究と事務の間をつなぐ“橋渡し”が私の役割です。慎重さの裏には「税金を使う研究である以上、正確さを最優先に」という文化があります。そこを理解しながら、挑戦できる環境を維持することも大切にしています。
どんな方に参画してほしいですか?
求めるのは「専門知識よりも熱意のある人」。患者さんの悩みを本気で解決したいという気持ちがあれば、知識はあとからいくらでも身につきます。チームには複数の製薬企業出身者がいますので、若手が学びながら成長できる環境だと思いますよ。
この研究は地道に積み上げていくタイプで、派手に伸びるものではありません。でも、ある日一気に広がる力を秘めています。正しさを積み上げた先にブレイクスルーがある——そんなプロジェクトに共感してくれる仲間と進みたいですね。
編集後記
「私たちの合言葉は『食の自由をすべての人に』です。」と渡部先生が話してくれました。
早期の診断で食物アレルギー治療への迷いを減らし、食べられるものが増えることで人生がより豊かになる、そんな話をワクワクしながら伺いました。
”食べない”しか選べなかった日常から、“安心して食べられる”未来へ。金沢から生まれた挑戦は、やがて世界の食卓を変えるかもしれません。

