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医学の発展により、人類は様々な病気に打ち勝ってきました。過去には不治の病とされた病気でも、現代では治療法が確立され、日に日に人類は病という恐怖から解放されつつあります。しかし、医学の進んだ現代においても猛威を振るっているのが、がんという病気です。
がんの主な治療方法には、外科手術、化学療法、放射線療法の三つがあり、アイラト株式会社は、その中でも放射線療法の最適化に多数の知見を持っています。東北大学のビジネスインキュベーションプログラムに採択された後、会社設立から資金調達まで順風満帆に進んだように見えるアイラトですが、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。
今回は、アイラト創業者の一人である角谷倫之さんに、今の自分を形作った原体験から、創業より乗り越えてきたいくつもの壁、そして将来の展望について詳しくお話いただきました。
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代表取締役・創業者
角谷 倫之氏
東北大学医学部での放射線治療研究成果を活用し2022年に東北大学発スタートアップとしてアイラト株式会社を創業。がん治療×AIによって放射線治療の可能性をさらに拡大し、日本ひいては世界中で「すべてのがん患者」をゼロにするというミッションの実現を目指す。病院講師として東北大学病院放射線治療科にも勤務。
名古屋大学医学系研究科博士課程修了、スタンフォード大学やカリフォルニア大学デービス校での研究員・客員助教を経て現職
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アイラト株式会社
https://airato.jp/
- 設立
- 2022年03月
≪Mission≫
「ひとりでも多くのがんを治し、患者ではなく生活者として生きられる世界」
日本発の放射線治療スタートアップとしてAI技術による高品質な放射線治療を実現し
患者、医療従事者ともにより良い選択ができるようにそれが私たちの願いです
≪事業分野≫
AI / 医療・ヘルスケア
≪事業概要≫
私たちアイラト株式会社は、日本初の放射線治療AIスタートアップとして、医療現場に真に必要とされる放射線治療AIの研究開発を進めています。
「放射線治療ですべてのがん患者を救う」をミッションに、AIにより放射線治療の可能性を拡大し、最先端放射線治療の治療成績向上や業務量改善を目指します。また、身体へメスを入れず患者負担が少なく治療効果が高い放射線治療の普及も目指します。
- 目次 -
「人生はうまくいかないこともある」と学んだ幼少期
最初に、角谷さんの生い立ちから伺います。幼少期はどういったお子さんだったのでしょうか。
私は石川県の山代温泉という、温泉の町で生まれました。実家が旅館を経営していたので「日常の中に仕事が一緒にある環境」でして、そこは少し特殊だったかなと思います。旅館なので、お客さんが帰り際にうちの親に「ありがとうございました」と御礼を言うことがあるんですよ。それが記憶に残っていて、「人に感謝される仕事をしたいな」という気持ちは小さいころから持っていました。
自営業の家庭で育ったことで、起業に対する意識も自然と培われていたのだと思います。ただ、最初はうまくいっていた旅館も、私が7歳くらいのころに潰れてしまったんですよね。その影響で割とハードな体験もしました。そのときに「人生はうまくいかないこともある。でも、勉強をしておけば道が拓ける」と理解したというか、少し悟った記憶があります。
両親の教育方針として、特に勉強を強要する親ではありませんでした。強いて言えば、「やりたいことをやれ」という方針でしたね。ただ、旅館の仕事を効率良くこなす背中を見てきたので、「何ごとも効率良くこなす」という意識は根付いています。
学生時代は、興味を惹かれたことは全力でやるタイプでした。クラスでは基本的にイジられキャラだったのですが、ことあるごとに「角谷は意思がすごく強いね」と言われた印象があります。自分ではあまり意識していなかったのですが、いま思い返すとハングリー精神があった気がしますね。幼少期に実家の事業が失敗したことで、何だか負けたような気持ちが非常に強く残っていて、それで勉強も仕事も、「他人が遊んでいたとしても、自分はもっとやるんだ」というマインドセットができたように思います。
「前人未踏の分野にチャレンジしたい」という気持ちが高じて放射線腫瘍学へ
アイラト創業までのキャリアについて教えて下さい。
私は、数学や物理のような、「ハッキリと答えが出てくるもの」にすごく惹かれるんです。宇宙のことや相対性理論の話が小さいころから好きで、そういう本ばかり読んでいました。本音を言うと物理学の方向に進みたかったのですが、親から「物理学科は就職先がないから、兄弟そろって行くのはダメ」と止められて、医学部に行くことにしたんです。そこで、放射線技術に出会いました。
「医学と物理学でがんを治す」というところにものすごく魅力を感じて、専攻を選びました。その後は医学物理士になり、活躍の場の多い海外に渡って治療をしていたところ、東北大が放射線腫瘍学のコースを新設すると聞いて、最初期のメンバーとして参加しました
東北大で研究室を持って、治療を行いつつ研究も続けていました。民間に行かずに大学で研究者の道を選んだのは、社会実装と研究の両立を目指していたからです。「誰もやったことのないことをやりたい。それでノーベル賞を獲れるくらい突き詰めたい」という欲求があって、そのためには民間より大学が適していると考えました。
そもそも、新設されるコースの最初期メンバーに手を挙げたというのが開拓精神に溢れていますよね。尻込みするかたもいらっしゃるかと思うのですが、そこに不安はなかったのでしょうか。
話が来たときに即決しました。「東北大で研究すれば、絶対に思ったことができる」と感じたんです。研究室に入った後、現場と研究を両立していたら、日に日に「現場で起こる問題を解決したい」という気持ちが積もっていきました。特に、我々がいま手がけているようなIMRT(強度変調放射線治療)の治療計画立案の部分は、現場に大きな負担が掛かる部分です。そこに解決策を提示したいという思いで研究開発を進めていたところ、書いた論文が世界的に評価されたりと、実用化が目前に見えてきたんですね。大学という環境にいると、どうしても論文を書くことが仕事になりがちなんですが、「自分はそうじゃない」という反骨精神がありまして、「この機会に社会実装しないと後がない」と思って起業を決意しました。
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オフィスでの開発会議風景
苦い経験を経て、「自分のビジネスに責任を取れるのは自分だけ」と痛感
2022年3月にアイラトを創業されて約2年半、どのような壁を超えてきましたか。
「人の壁」と「金の壁」を超えてきました。アイラトは東北大のプログラムで創業したのですが、そのときにビジネス系人材を紹介してもらったんです。そして、その人にCEOを担当してもらいました。初期からフルコミットで入ってくれた上、資金調達のフェーズが来たときには単独で交渉してくれたりと、会社の成長のために色々ご尽力いただけました。しかし、途中でプロダクトの開発方針等について認識の相違が生まれたため、抜けていただくことになったんです。それは会社にとって非常に大きな変化だったので、私自身とても負担でしたし、何よりも、チームの他メンバーに余計な不安を抱かせてしまったことを後悔しています。
実際、この問題が起きた当時は「幼少期に実家の旅館が潰れたとき」と同じくらい、精神がどん底に落ちていました。でも、小さいころのその記憶があったからか、「人生はうまくいかないこともある」と悟っていた自分もいて、冷静に受け止めることができたんです。 むしろ、「小さいころにあれだけの底を経験したのに、ここまで生きている。だから、今回も何とかなるさ」という気持ちでしたね。もう自分の力で何とかするしかないので、死ぬ気でピッチに出まくって、研究費や助成金を取って。奇跡的にピッチで優勝するところまでこぎ着けて、資金調達ができたことで首の皮一枚つながりました。この時に、「ビジネスは自分でやるしかないな」と痛感しました。
研究室時代からの情報ネットワークで、今も世界の最先端を走っている
仲間集めや技術の面でそれ以降に感じた壁や、今後はアイラトをどのように成長させていきたいと考えているか教えて下さい。
最初期のメンバーである木村さんと海老名さんとは、先述の外部CEOとの一件があったおかげで絆が強固に結ばれた気がしています。そもそも、木村さんは研究室の博士課程にいた縁から始まりましたし、海老名さんはプロジェクト開始当時の外注先だったので、早い段階からスムーズにフルコミットしていただけたのも大きかったと思います。
大学で研究していた当時から世界一を狙っていたので、技術面での気後れはありませんでした。スタンフォードを始め、色々な海外の大学から画像解析の方法を学んでできた土台がありますし、そのネットワークを活かして、今も最先端の研究成果をキャッチアップしています。そうして得たものをプロダクトに応用して、新たなイノベーションを生み出していく循環はうまく構築できていると思います。
我々は現在、「放射線治療で全てのがん患者を救う」ということを一番のミッションとしています。来年に1号機がローンチするのですが、それは「放射線を出すハードのパフォーマンスを最大化するためにAIを活用している」ものであり、今はハードとソフト、AIの部分が分離していますが、今後はさらに発展させて、ハードの中にAIをどんどん組み込んでいくイメージで考えています。今後も、そういったハードやソフトの区別をせず、AIで最適化して、「放射線治療の効果を極限まで最大化する」プロダクトを展開していくつもりです。そのための課題は、やはり「人手」ですね。AIのエンジニアはもちろん必要ですし、1号機に関してはアジア、インド、タイ、韓国、マレーシアに展開していくので、海外での営業リーダーとなりうる人材を切に求めています。
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インタビューは東北大学マテリアル・イノベーション・センター(MIC)内、青葉山ガレージで行った。アイラトの角谷氏(左側)と、インタビュアーの藤岡(右側)
日本発の医療技術で世界市場を狙う
角谷さんが考える理想の組織像や求める人物像、このタイミングでアイラトに参画する魅力や働きがいについて教えてください。
誰もがフラットな立場で議論ができて、遠慮なく意見が言えるような、風通しの良い組織が理想ですね。求める人物像としては、「自発的に動いてくれる人」です。全員が目指すビジョンに向けて働きつつ、もしも自分と他人の間にボールが落ちたときでも、どちらも積極的に取りに行くような、そういう組織にしたいと考えています。
お互いに仕事への責任感とリスペクトがある関係性が理想です。特に「この技術を使って、世界を変える」というビジョンには共感してほしいなと思います。解決したい問題があって、そのために開発を続けているので、そこのマインドが共有できるかたと一緒に働きたいです。特に、アイラトの根源である「技術」へのリスペクトは必ず持っていてほしいですね。
トレンドである医療AIソフトを自社開発しつつ、それがスケールアップする環境の中に入って、海外に大きく展開できる日本発のスタートアップがアイラトです。世界の標準治療となることを目指していますので、「日本発の医療技術で世界市場を獲る」という、夢のあるチャレンジができます。社員数も現在6名で、まだまだ経営陣との距離が近いですし、大いなる挑戦に参加する楽しさは非常に大きいと思います。
貴重なお話、ありがとうございました。
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アイラト株式会社
https://airato.jp/
- 設立
- 2022年03月
≪Mission≫
「ひとりでも多くのがんを治し、患者ではなく生活者として生きられる世界」
日本発の放射線治療スタートアップとしてAI技術による高品質な放射線治療を実現し
患者、医療従事者ともにより良い選択ができるようにそれが私たちの願いです
≪事業分野≫
AI / 医療・ヘルスケア
≪事業概要≫
私たちアイラト株式会社は、日本初の放射線治療AIスタートアップとして、医療現場に真に必要とされる放射線治療AIの研究開発を進めています。
「放射線治療ですべてのがん患者を救う」をミッションに、AIにより放射線治療の可能性を拡大し、最先端放射線治療の治療成績向上や業務量改善を目指します。また、身体へメスを入れず患者負担が少なく治療効果が高い放射線治療の普及も目指します。