高度な技術が画期的なアイデアがあっても、ビジネスの経験やノウハウがないため、事業化が難しいケースは少なくありません。そこで多くの組織が取り組み始めているのが、「EIR」(客員起業家)です。VCに所属しながらもより確度の高い新規事業の立ち上げを狙うEIRは、起業家にとって有益なキャリアパスとして期待されています。
EIRは、元々VCが投資先スタートアップの新規事業立ち上げなどを担う人材のために用意したポストとも言われています。昨今は企業や大学もこのEIRを活用し、新規事業を立ち上げています。
京都大学の100%出資によって2014年12月に設立され、大学の研究成果を活用するスタートアップ企業への投資を行う、京都大学イノベーションキャピタル株式会社(京都iCAP)もそのひとつ。2024年7月から京都iCAPでEIRとして働く中小司和弘氏に、京都iCAP で働く魅力やEIRに必要な資質、起業をめざす人へのアドバイスなどを伺いました。
客員起業家(EIR)
中小司 和広氏
福島原発の事故をきっかけに原子力の研究を志す。在学中はウラン同位体比を測定する加速器質量分析の装置開発を日本で初めて手掛け、様々な応用研究にも従事する。日本原子力学会をはじめ国内外の学会にて多数の受賞歴、文部科学省とともに福島原発の廃炉プロジェクトに参画。新卒でドリームインキュベータに入社後、一貫して新規事業や産業創出に関わるクロスボーダーのプロジェクトに関わり、インド支社にてAIスタートアップ企業への投資・経営支援を実施。その後、ベトナム支社にDirectorとして就任し、技術・政策に大きく関わる国家間プロジェクトを主導。
2024年7月、世界を変えるDeeptechスタートアップ企業を自ら創出するために京都iCAPにジョイン。
タイ生まれ、マレーシア育ち、東京大学大学院工学系研究科修了。
趣味は数学(特に幾何学)、散文の読み書き、トライアスロン。
京都大学イノベーションキャピタル株式会社
https://www.kyoto-unicap.co.jp/
- 設立
- 2014年12月
京都大学イノベーションキャピタル株式会社は、世界トップレベルの研究機関である京都大学の研究成果を活用し、次世代を担う産業の創造に、投資活動を通じて貢献することを目的として、国立大学法人京都大学の100%出資子会社として設立されたベンチャーキャピタルです。
- 目次 -
1年での起業と、3カ月弱で40~50名の研究者に面会
現在中小司さんが携わっている仕事について教えてください。
シーズを事業化する人材が不足しているため、京都iCAPはそうした人材の獲得に力を入れています。EIRはそのひとつで、私はスタートアップ創業のために採用された経営者候補です。活動を始めてまだ3カ月弱(2024年9月時点)ですが、京都大学に限らず、他の国立大学や研究機関などさまざまな大学の先生とお話をさせていただいています。興味を持ったテーマを研究する先生にコールドコールで会いに行き、お会いした先生にまた違う先生を紹介いただく、というスタイルでシーズの探索をしています。
そうなんですね。てっきり京都大学など京都iCAPの投資先に限ると思っていました。京都iCAPから雇われながらも、他大学の研究シーズを事業化する可能性もあるということですよね。懐が深いですね。
そのとおりです。比率としては京都大学関連の案件が多いものの、他大学の案件もあります。
差し支えなければシーズ探索のスケジュール感を教えていただけますか?
EIRとしての契約は1年ですが、1年間の延長は可能なので最長2年間のプログラムです。私としては1年を目処に起業と最初の資金調達をしたいと考えて進めています。最初の6カ月でシーズの探索と絞り込みをして、残りの6カ月でビジネスモデルや資金調達に向けて動くという想定ですね。幸い順調に進んでいて、前半6カ月で計画していたことが、3~4カ月で完了できそうです。この3カ月弱で40~50名の研究者に会っていて、その中には起業の検討段階にあるものが複数あります。2週間に1度くらいのペースで1時間~1時間半ぐらいの定期ミーティングを行い、アジェンダを決めて起業に向けた課題を整理・消化しながら、クライアント候補に先生と一緒にインタビューをしたり、技術の活用が工場スケールになった際も検討している調達資金で成り立つかという計算をしたりしています。
これで創業したいというシーズが決まったら、会社設立のための準備に入ります。ビジネスモデルや資本政策を練り、投資家と話して法人化を進めるということですね。私の場合はシーズ探索を進めると同時に投資家やVCにも話をしていて、こういった人たちから資金調達できそうだと伝えながら話を進めています。
自分の研究を社会実装したいと考える研究者は日本でも増えている
研究者の中には自分の研究に対するプライドやこだわりがある方もいらっしゃると思いますが、事業化の話を進めるのが難しいケースもありますか?
私が話をしている研究者の方々は全くそんなことはないですね。むしろ技術の社会実装を大切なことだと考えている先生が多く、先生の方から実用化について現実的なところを知りたい、ディスカッションしたいとおっしゃるケースが多いです。そこは私も意外で、EIRとして活動を始めて感じたギャップのひとつです。おそらく私のようなディープテック領域での経営者候補は少ないので、彼らとしてはそうした内容をディスカッションできるだけでも嬉しいのかもしれません。
自分の研究を社会実装したいと思っている研究者のみなさんに共通する特徴はありますか?
明るい方、そしてオープンマインドの方が多い印象です。そして、研究者が起業すること、研究が経済的な利益をもたらすことに対してポジティブなマインドの方が多いですね。研究者によるビジネスを悪いことととらえる人もいますが、私がアプローチして実際に接している先生だと1割もいません。日本も少しずつそういう流れに変わりつつあるのかなと思います。特に若い先生の中には、博士号を取ったらすぐ起業したいと言う方もいらっしゃいます。日本でも実績や仕組みが充実しつつあるので、今後研究シーズの事業化に前向きな先生はもっと増えてくるのではないかと思います。
博士課程に進まず新卒で就職し、ビジネスの面白さを知った
これまでのキャリアについて教えていただけますか?
両親は日本人ですが、父の仕事の都合でタイのバンコクで生まれ、15歳までマレーシアにいました。高校から日本で学び、東京大学工学部に進学しました。大学入学が福島の原発事故が起きた2011年で、合格発表の翌日にあの地震が起きたんです。それで入学直後にボランティアで福島に行きました。津波の被害に遭った農家の畑で作業をしながら、事故の影響でこの地ではもう農業はできないだろうと思ったんですよね。と同時に、福島の状況を目の当たりにしたことで、私はこの地域に起きた問題の解決に貢献すべきだと思いました。大学では原子力の燃料棒に使うウランの研究に取り組みました。修士課程まで進み、2017年に新卒で、新規事業のプロデュースを行うドリームインキュベータに入社しました。入社後はクロスボーダーのプロジェクトに関わり、インド支社とベトナム支社でスタートアップ支援に従事しました。その後、退職して2024年7月に京都iCAPにジョインしました。
ドリームインキュベータだと、研究者ではなくビジネスマンとしてのキャリアになりますよね。新卒という大事なチケットをどう使うかターニングポイントだったと思いますが、就職に踏み切った理由は何ですか?
確かに博士課程に進んで研究を続ける選択肢もあり、周りの人はみんなそうするものだと思っていたみたいです。でも、研究にはある程度区切りがついていましたし、一度外に出てビジネスを経験した方がアカデミックの世界で面白いことができると考えていました。また研究をしたくなったら戻ってくることも選択肢だと思っていました。と言いつつ最初は所属していた研究室に籍を残していたのですが、ビジネスが面白くなって1年後にはドリームインキュベータ1本にしました。今年の5月までベトナム支社にいました。オフィスを切り盛りしながら案件を形にして利益を出すのがすごく楽しくて。就職して良かったと思っていますし、ビジネス経験を経てEIRとして大学に戻ってきたことにはすごく腹落ち感があります。
アジアで生まれ育ったということで、アジアの支社に配属になったのですか?
いえ、それは関係ありません。1年目のときに自動車関連のプロジェクトがあり、デリーで開催されるモーターショーに行く機会があったんです。土埃舞う中でインドの人たちがチケットを買うためにひしめき合っていて、会場に入ったらベンツの前で若い男の子が自撮りしていたんです。話を聞いたら「5年後には自分で買って乗るんだ」と。インドの大学で計算機科学と数学の学位を取るべく学んでいると言っていました。それで「この国はすごい。この国に関わる仕事をしたい」と思い、帰国して会社の投資担当にインドへの投資を担当したいと直談判しました。それでインド投資に関わることになりました。
初めてEIRの存在を知った京都iCAPを、直感的に良いと感じた
どういった経緯で京都ICAPにEIRとして参画することになったのですか?
普通のコンサルティングファームではなくより踏み込んだ支援をするドリームインキュベータを選んだときから、自分も将来起業する予感がおぼろげにあったんですよね。仕事をしていたらやっぱり起業したくなって、ベトナム支社にいるときに一度起業を考えてVCの人とも話をしていました。ディープテック領域ではありませんが、課題もよく捉えられていたし、面白いアプローチでVCの反応も悪くありませんでした。でも自分自身が腹落ちできるテーマではないことに気づき、検討をやめました。
そんなとき京大発スタートアップの方々と話をしていて、彼らのようにディープテック領域で大学でスタートアップを立ち上げるのもありだなと思ったんです。もちろん知ってはいましたが、いろんな人と話す中で徐々にその選択肢への腹落ち感が醸成されたんです。そこで会社を辞め、いくつか事業化したい研究シーズを整理してファンドや大学の人とコミュニケーションを始めました。その中で京都iCAPに出会い、初めてEIRというシステムを知りました。生活できるだけのお金をもらいながらシーズを探索できる点に魅かれ、応募しました。比較は難しい気がしたのと、直感的に京都iCAPが良いと思ったので、他大学のEIRは受けていませんでした。
京都iCAPに対して中小司さんが直感的に感じ取った良さ、他との違いはどんなところですか?
京都iCAPが他のファンドと違うのは、どうしたら面白い研究シーズがビジネスになるか、どういう起業家を連れてきたらよいかなどを考える、いわゆるインキュベーションをしっかり行っている点です。キャピタリストのみなさんの仕事の半分近くは、投資業務ではなくインキュベーション業務に充てられているケースもあります。そこまでやっているファンドは他にないと思いました。特にEIRの責任者である八木さんからは、言葉の端々から豊かなインキュベーション経験が感じられました。大学の研究シーズを事業化しようとすると何が大変か、どんな問題が起きるかを知らないとできない鋭い質問をされたので、大学発のスタートアップ支援に豊富な経験がある組織だと感じました。だから、案件をきちんと事業化できそうなイメージが湧いたんです。直感は正しかったですね。
自由に行動できてフラットな議論もできる、自律的な人に最適な環境
仕事の進め方や環境など、京都ICAPでEIRをする魅力は何ですか?
すごく自由にやらせていただけるところですね。すべて自分で予定を組んで行動していますが、やりたいことを制限されることは基本的にありません。出張も自由で、私は2週間に1度は東京に行っています。そのような環境なので、自律的でない人はやりづらいでしょう。上司など人も素晴らしいです。特に八木さんは素晴らしいキャピタリストで、いつも適切な助言をくれますし、失敗したら責任は自分が持つから自由にやっていいよ、という理想的な上司です。他のキャピタリストともさまざまなことをフラットに議論できます。例えばいま、化学系担当のキャピタリストが持っている案件を一緒に見ているのですが、当然その方は私に化学系のシーズで起業してほしいはずですよね。でも八木さんは物理系案件のディスカッションにも付き合ってくれます。個人の目標より京都iCAPの目標を重視し、もっと言えば日本全体の研究シーズのことを考えているからだと思います。視座が高く、懐が広いと感じます。
ワークライフバランスやQOLなどはいかがですか?
見てのとおり私は心身ともに元気で、QOLは非常に良いです。私は鴨川上流の高野川近くのエリアに住んでいて、毎朝鴨川沿いを走っています。最高に気持ちがいいですよ。良い具合にアドレナリンが出た状態で出社して仕事ができます。古くからあるこじんまりとした飲食店や、コミュニティを大事にする文化も気に入っています。飲み屋で仲良くなった人と一緒に登山やランニングを楽しんだりもしています。静かでコンパクトな街なので、創業についてじっくり検討するにも良い場所です。一度京都に住んでみたかったので、満足しています。
想定外だったことや辛いことがあれば教えてください。
ありがたいことに、ネガティブなことはほとんどありません。興味深い研究シーズがたくさんあって、その一つひとつが面白くて仕方ないです。元々エンジニアリング出身なので先生との会話も弾みます。ひとつ挙げるとすれば、どの案件も面白いため1つに絞るのが難しいことですかね。比較検討した上で選ばなければいけないので、せっかく良い関係性を築けたのにお断りしなければいけない先生方もいて、それは非常に心苦しいです。
EIRに求められるのは、ポジティブ思考と多面的な視点
EIRの仕事に向いてる人、向いてない人はそれぞれどんな人でしょうか?
起業家一般に言えることだと思いますが、物事の良い面を見つけて拡大・拡張できる人が向いています。スタートアップの起業において、欠点を見つけるのは簡単ですから。特にディープテック領域だと技術も完成されているとは限りません。欠点があってもそこを補う方策を考えるなど常にポジティブ思考でいないと、シーズの将来は見えてきません。探索というフェーズであっても、うまく行けばこんな未来が見えるという方向に話を膨らませることが大事です。もっと言えば、物事を多面的に見られる人がいいでしょう。近い研究をやっている人がいれば先生に紹介してもらってネットワークを広げ、そのシーズがクライアント目線ではどうなのか、トレンドなど投資家目線でどうなのか、いろんな側面から考えなければいけません。
最後に、大学発ディープテックスタートアップの起業をめざす人へのアドバイスをお願いします。
スタートアップを起業するとき、起業家とVCでは視点や論点が全く異なります。それに、クロステック領域の企業なら一度事業領域を決めてもある程度ピボットしながらできますが、ディープテックの場合はひとつ技術を決めると簡単には変えられません。だから準備が非常に大事です。ドリームインキュベータで教えられましたが、論点設計が非常に大事だと実感しています。
技術は多くの人が思うほどハードルは高くなく、専門家でなくても調べれば理解できます。専門用語の意味さえ調べれば、論文だって読んで理解することができます。だから文系・理系もあまり関係ないと思います。いまは起業家にとってチャンスなので、少しでも興味があるなら起業すべきです。ディープテックは技術、起業家、投資家の3本線。いまは技術が豊富にあり、投資家の注目度も高く、そして起業家が非常に少ない状況です。つまり、起業家はたくさんの技術の中から好きなものを選べて、多くの投資家から注目を集められるわけです。10年後にはまた状況は違っているかもしれません。
EIRについていろいろ知ることができました。興味深いお話をありがとうございました。
京都大学イノベーションキャピタル株式会社
https://www.kyoto-unicap.co.jp/
- 設立
- 2014年12月
京都大学イノベーションキャピタル株式会社は、世界トップレベルの研究機関である京都大学の研究成果を活用し、次世代を担う産業の創造に、投資活動を通じて貢献することを目的として、国立大学法人京都大学の100%出資子会社として設立されたベンチャーキャピタルです。